【イベントレポート】 「D会議室」発足記念 映画『ヤジと民主主義 劇場拡大版』 山﨑裕侍監督 × 森達也監督 激論トーク付き試写会

 

このたび11月30日(木)に「ドキュメンタリーと出会い、ドキュメンタリーをしゃべる場」をテーマに発足したオンラインコミュニティ「D会議室」の発足を記念したイベント【映画『ヤジと民主主義 劇場拡大版』激論トーク付き試写会】を開催。

12月9日公開のドキュメンタリー映画『ヤジと民主主義 劇場拡大版』の来る全国公開に先駆けて実施した試写会上映後のイベントでは、監督を務めた山﨑裕侍監督に加えて、特別ゲストとして「A」「FAKE」「i-新聞記者ドキュメント-」などドキュメンタリーだけではなく、大ヒットを記録した『福田村事件』などの劇映画も含め、映画で多くの問題提起をし、映画で様々な不合理や権力と戦ってきた森達也監督、イベントホスト兼MCとして映画・音楽パーソナリティの奥浜レイラが登壇。

 

上映が終わりイベントがはじまると、会場のお客さん同様、既に映画を鑑賞したという森監督は、「4年前にこの事件をニュースで見たときはあまり意識していませんでしたが、その後にテレビ版を見ました。2、3年前に山﨑さんとお会いして、今度映画化を考えてるって言われて、『そりゃ無理だよ、映画舐めんなよ』と言ったかどうかは覚えてないんですが(笑)、今回映画を見て、もう本当に脱帽です!いろんな意味でしっかり映画になっていて、逆に言えば、やっぱりそれだけの問題をはらんでいる事件だったのに、そこを自分が見抜けなかったと思いました。自民党と統一協会、ジャニーズの問題など、きっと全部共通してますね。周りがみんな沈黙する中で、こうしたものを作ることはとても大事で、この作品もひとつの『ヤジ』だと思うんです。みんなが同じ方向見てる時に、そうじゃないぞって声を上げる、まさしくヤジを体現した、とてもいい作品だったと思います。」と映画を称賛。

 

続く、トークテーマパートでは、まず最初のトークテーマ「ヤジの意味を考える」について、

山﨑監督は「ヤジは迷惑という見方が一部あり、警察もヤジを罵声という言い方で主張しています。確かに、大きい声を上げるというと騒いでいるだけに思えますが、今回、ヤジを飛ばした人の背景を取材することで、思いを持った人が、自分はここにいるんだ、生きてるんだという存在証明の1つがヤジだと思ったんですね。マイノリティの方が声を上げ始めたことと同様、意味があるんじゃないかなと思います。」と語った。

さらに、ヤジが時代とともに移り変わっている実感はあるかという問いには、「ヤジを飛ばせない社会になってきていると思います。昔の学生運動やデモ活動を見ると、自由に飛ばせる社会があったと思いますが、今は取材をしていてもヤジが普段飛ぶことはありません。政治とか権力者に対して物を言うことを言っても変わらないだろうという諦めがあるのかもしれません。」と報道記者としての印象を伝えた。森監督は「ヤジを全部封鎖する社会がもっと怖いですよね。アンデルセンの『裸の王様』は、周りがみんな王様は素敵なお召し物してらっしゃるわねと言っている中で、子供が1人『いや、王様裸だよ。』と大きな声を上げて、見方が変わってしまう。あれも言ってみればヤジですよね。みんなが同じ方向に向かってる時、同じ言葉しか口にしてない時にちょっと待てよと声をあげる。本来メディアの役割なんですけど、メディアもそこの中で一緒に染まっている時には、誰か気づいた人が声を上げることがものすごく大事なこと。しかしそれすらも言いづらい社会になってしまうのは、より一層この日本社会の劣化が進行してしまうなと考えています。」と語った。

 

次のトークテーマ「TVメディアは舐められているのか?」

警察による排除が、公然とメディア、市民の目の前で行われたという問題を定義している本作について、森監督は「『A』(オウム真理教に迫ったドキュメンタリー)を撮っている時、信者への不当逮捕は横行していました。でも、誰もそれに対して意を唱えない。警察官がいっぱいいるのに、撮影している僕はなぜ静止されないのか。後になってわかりましたが、要するにテレビは絶対に報道しない、と舐なめられてたんです。あの時期、オウム信者は、別件微罪逮捕は当たり前で、しかもそれを国中が黙認していましたし、<オウムだけは例外>だと言葉にしていました。例外って絶対に普遍化されるんですよね。あの事件は警察が悪質だったことは確かだけど、メディアがきちんと健全にあの時代に機能していれば、警察もあんなことできるはずがない、しかもカメラの前で。今回も同じことが言えるんです。」と、自身の経験を交えて回答。

そして現在のメディアのあり方について、山﨑監督は、個人的な感想として警察のヤジ排除行為について「カメラの有無よりも先に、安倍総理にヤジを聞かせたくなかったという切迫したものがあったのか、カメラの前でやっても報道しないだろうと思っていたのか、あるいはその両方なのかだと思うんです。結果的には朝日新聞がスクープしましたが、現場には何社もマスコミがいました。なのに、2日間ぐらいは報じなかったんです。朝日新聞の掲載後、一斉に他のメディアも後追いを始めたんですけども、それがなかったら、我々は本当に報じていたんだろうか、自戒も込めて勇気がないと報じられなくなっている時代だと感じます」と実感を語る。また「今回も、選挙期間中でもあり、警察を批判して大丈夫なのかという配慮がメディア各社で働いたのかもしれません」当時を振り返った。

さらに10月に起きた<増税メガネ・ヤジ排除問題>について、山﨑監督は「個人的なには、政治家の演説現場でソフトの排除が始まってると思います。岸田総理が、参議院の補欠選挙で徳島で演説した時に<増税メガネ>というヤジを飛ばした人がいて、徳島県警の警察官が3人すぐ寄ってきて“静かに”みたいな、ジェスチャーをするんです。男性はそのまま帰って行くんですが、そもそも警察官がヤジを辞めさせるという法的根拠がないんです。飛ばした側にしてみたら、何か警察官が来て止められたと思うと、怖いじゃないですか。札幌のような強制的に排除しなくても、ヤジを止めさせることが必要なのかと思います。徳島県警に取材したら、何か危険なものでも持ってるかもしれないと思ったと。ヤジを飛ばす人を危険視してるんですが、様々な専門家に、この映像を見せてお話を聞いたらやはり法的根拠がないことが問題だと。ヤジを飛ばせない演説現場がこれから強くなってくと思うんですけども、そんなところに意見がある人は行きたいと思わないですよね。そうすると、益々政治に関心がなくなって、選挙にも行かなくなって、投票率も低くなってしまうかもしれない。もしかしたら本当に民主主義の根幹である選挙にも影響してしまう恐れもある、今まさに起きている現在進行形の問題だと思います」と語った。

昨今メディアのあり方が議論される中、森監督は「僕は市場原理だと思います。視聴率や部数、要するにテレビ局も出版社も新聞社も全部営利企業です。テレビの場合どれだけ見てもらえるかで広告量が変わるわけですから、どうやったらみんなが見てくれて支持してくれるかという番組作りを目指す。これは報道も一緒なんです。だからみんなが喜ぶ方向に行ってしまう。そこでメディアを責める気はない。ただ、やっぱりメディアの場合はもう1つ、ジャーナリズムっていう論理が入ってくるはず。で、ここは市場原理とは相入れないはずですが、今の日本のメディアの場合は、このジャーナリズムの軸が相当脆弱になってしまっていると思います。それが日本のメディアの大きな問題点。」とメスを入れる。

山﨑監督は、「森監督と別の観点で言うならば、日本の独特な風土として、<発表ジャーナリズム>というのがあるんです。例えば警察とか政府だとか役所とか、そういうものの発表を報じること。その中で独自と言われる報道の中に、その発表を早くに情報入手して報じるということを独自としてもてはやされるっていう文化があって、その当局(警察など)を批判すると、情報がもらえなくなるから、自然的に批判しなくなる。自分たちで取材して、これはおかしい、これは事実だと思って報道を続けるということが大事。ジャニーズ問題にしても、第三者委員会が発表した途端にみんな手のひら返したように報じるようになりましたけども、今度は逆に言うと袋叩きみたいな感じをやっていて、あの振幅の激しさが逆に僕はちょっと心配なります。」と語る。

そして、森監督は「僕が現役の頃は、大体各ニュース番組はほぼ毎日特集枠と言って、調査報道の枠があったんですけど、 今ほぼないですね。今は<クローズアップ現代>と<報道特集>くらいかな。でも数字は苦戦してるみたいです。つまり、社会はもう興味を示さなくなってる。調査報道って時間がかかる。 半年前、1年前の事件にもうみんなが興味示さないし、さっきも言ったように、それはもう打ち切らざるを得なくなってしまう。だからメディアの問題は、僕は社会の問題だと思う。社会が興味を示せばメディアも頑張るけれど、社会が興味示さなければ、メディアも脆弱化します。メディアの問題点たくさんあるけど、むしろ社会の問題がそこに反映されてると思う。」とジレンマを語った。

続けて「なぜ映画で戦うのか?」というテーマにおいて、森監督は、今年公開され大ヒットを記録した「福田村事件」について、初の劇映画とドキュメンタリー映画の違いについて問われると「そんなに違いません。ドキュメンタリーも、僕はある意味で現実を素材にした創作だと思っています。ドキュメンタリーの場合は、映像を見ながらこことここを組み合わせたらこういう意味になるなとかモンタージュして、意味付けをしながら編集していますが、順番は違えどドラマも同じで、こういうカットを繋げてけばこういう意味になる、ストーリーになるぞと。撮影法やスタッフの数は大きく違いますが、映像という意味ではそんなに違いはないと思います。」と語った。

 

最後に、当日来場された観客や生配信で視聴中の方からの質疑応答タイム。

「報道の自由度」が日本は下がっていることが私たちの生活にどう影響してるかと問われた山﨑監督は、「本作で沈黙するメディアもあったのですが、 市民は黙っていなかったと思います。我々が使ったほとんどの映像が、実はその場にいた視聴者から映像を提供してもらったんですね。これはおかしいと思って撮影して、インターネットに投稿したり、我々に提供してくれた人がかなりいたんです。だから、市民は無視されても記録して、声を上げてメディアを動かす力もあると思うんです。なんで報道しないんだということで、こう、そういう声が大きくなれば、僕らメディアもこう無視できなくなると思うんです。」と一人一人が声を上げる重要性を語り、「マスメディアを自分たちとかけ離れた存在と思わないで、市民が記録する武器として発信するっていうことをしていただければ、どこかで心あるメディアが連帯して声を上げる機会になると思うんです。だから発信することを諦めないでほしい。」と呼びかけた。

森監督は、「僕は、メディアと社会と政治というのは常に同じレベルだと思っています。 だから、今の日本のメディアが国際的な評価として60何位ということは、日本の社会も60何位なんです。ということは、その社会の、僕たちが投票する、選挙によって選ばれる政治のレベルも60ないですよ、日本はそのレベルにあるってことですよね。でも、そういうことを言っててもしょうがない。だから、じゃあどこが最初に変われるかとしたら、政治はこちらが変わらない限りは変わらない。メディアも多分自力で変わることは難しい。だから視聴者が、読者が、有権者が変われば、 おそらく、というか間違いなくメディアも政治もあっという間に変わります。ニワトリと卵みたいですが、一昔前と違うのは、僕たちは今自分たちのメディアを持っています。マスメディアに比べたら影響力は小さいかもしれないけれど、でも場合によってはたくさんリツイートされることもあるわけで、これは言ってみばヤジですよ、言ってみれば。そうすると、社会の方が多分変われるアドバンテージを一番持ってるんじゃないかなと思います。」と希望を語り、濃密なトークイベントを締め括った。

 

■映画『ヤジと民主主義 劇場拡大版』

https://youtu.be/UgekwcPZxmI?si=IFCfWne4G0wED1N-

「メディア」の眼前で起こった「市民」「権力」「政治」を巻き込んだ、あの“ヤジ排除問題“に迫る緊迫の1460日。 <小さな声は、何を暴いたのか!?>

第57回 ギャラクシー賞 報道活動部門、第63回 日本ジャーナリスト会議 JCJ賞、第40回 「地方の時代」映画祭賞、第58回 ギャラクシー賞 テレビ部門、第45回 JNNネットワーク 協議会賞など数々の賞を受賞してきた「ヤジと民主主義」。

2019年7月15日に起こったいわゆるヤジ排除問題を北海道放送報道班が4年間に渡り追い続け、ニュース報道からテレビの特番と発信し続け、前述の数多くの賞を受賞しながら、2022年には書籍化、そして2023年春にはTBSドキュメンタリー映画祭のいち作品として札幌会場にて上映。

これまで描けなかった増税反対を訴え排除された吃音を持ちながらも活動する女子大生(当時)、プラカードを掲げるために現場にきたがそれさえもかなわなかった女性、現在も続く注目の裁判の経過など、より多くの内容を取り込み「劇場拡大版」として公開。

語り:落合恵子
取材:長沢祐
制作・編集・監督 山﨑裕侍
製作:HBC北海道放送 配給:KADOKAWA
2023年/日本/100分/ステレオ/16:9 ⒸHBC/TBS 12/9(土)ポレポレ東中野・シアターキノほか全国順次公開

 

■関連リンク
映画「ヤジと民主主義 劇場拡大版」公式サイト
https://yajimin.jp/

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