【ドキュメンタリスト・ダイアリーズ #2】『ちゃわんやのはなし』はじまりのはなし 監督:松倉大夏
作り手たちの“生の声”をそのまま届ける企画「ドキュメンタリスト・ダイアリーズ」!作り手自らが作品で描くテーマや問題提起、想いなどを執筆した記事を紹介し、ドキュメンタリストの真髄と出会う<きっかけ>を提供します。
今回は、現在公開中の映画『ちゃわんやのはなし -四百年の旅人-』から監督を務める松倉大夏さんからご寄稿いただきました!
監督と企画の出会い、そして映画制作の始まりと、作品が生まれた時のリアルな想いに触れてください。
【ドキュメンタリスト・ダイアリーズ #2】
監督:松倉 大夏
神奈川県三浦市出身。現代美術作家の両親のもとで育つ。
法政大学大学院でフランス哲学を専攻。
2004年よりフリーランスの助監督として映画業界で活動。
脚本に携わったNHK特集番組「巨大戦艦大和〜乗組員が見つめた生と死〜」(2012)は、ATPドキュメンタリー部門優秀賞を、NHK特集番組「零戦〜搭乗員たちが見つめた太平洋戦争〜」(2014)は、ATP賞グランプリを受賞。
監督作のWOWOW「君のことを忘れない〜女優・渡辺美佐子の戦争と平和〜」(2013)では、日本民間放送連盟賞 優秀賞を受賞。映画「やまぶき」(2022)のプロデュースなどでも活躍。
■短編小説を渡される
二年前の冬に恵比寿のバーに呼び出され、そのとき初対面だったプロデューサー李鳳宇から司馬遼太郎の短編小説を渡された。
聞けば、その短編『故郷忘じがたく候』の主人公、十四代沈壽官は薩摩焼という焼き物の窯元で、祖先は豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に連れてこられた朝鮮の陶工だという。歴史小説家である司馬は存命の人物は書かない、と言われていたが、沈氏に出会い惚れ込んで小説に描いたようだ。
李さんは、この沈壽官一族の歴史をドキュメンタリー映画にしたいと言っている。しかも「監督をやってほしいけどなー」とまで口走った。映画界の一時代を築いたレジェンドが、数時間しか話していない私などに、どうして監督を任せるのだろうか。首をかしげながら店を後にした。
私は、劇映画の助監督を長く続けてきたけれど、ドキュメンタリーにリアリティの表現の可能性を見出し(簡単にいうと、ドキュメンタリーが好きだったので)、並行してテレビドキュメンタリーのディレクターもやってきた。両親が現代美術の作家で、離婚してしまったその両親に私がカメラを持って話を聞きにいくというセルフドキュメンタリーを撮ったこともある。もちろん、李さんはそのドキュメンタリー作品を観てくれた上で面会もしているし、彼が信頼する劇映画のプロデューサーが私を紹介したということもあるだろう。しかし、そんなに簡単に監督を託していいのだろうか。
短編小説の主人公だった十四代沈壽官は5年前にすでに亡くなり、当代の十五代沈壽官(十四代の息子)と李さんは20年に及ぶ付き合いがあった。李さんにとっては悲願だった。朝鮮半島と日本を飲み込む大河の流れのような沈壽官一族の壮大な歴史。それを今に生きる薩摩焼の窯元、十五代のドキュメンタリーとしていつかは映画にしたいと願ってきた。
■沈壽官に会いにいく
最初の面会から一週間後。ドキュメンタリー制作を本格的に開始するため、李さんは十五代沈壽官に鹿児島まで挨拶にいくという。私は司馬の短編を一読しただけで、まだほとんど知識もないが同行したいと申し出た。取材対象者(被写体)と会うということは監督として紹介されることになる。まだ心が定まらずフワフワした状態だったかもしれないが、「とりあえず、沈さんにお会いしてじっくり話を聞いてみるしかない!」と決心して鹿児島へ向かった。
以前に焼き物の職人たちのテレビ番組を作ったことはある。しかし、短編小説を深く理解して、沈壽官家の歴史を描くためには、戦国時代から今に繋がる九州と朝鮮半島の歴史を詳しく掘り下げなければならない。いや、もっと昔に渡来人が日本に渡った時代から調べないとダメだ。おそらく、郷土に伝わる古い文献を漁ったり、研究者から専門的な話を聞いて学ばなければならい。これは、ドキュメンタリーの制作でありながら、もはや同時に、立派な研究と呼べる作業になってしまうだろうな、と先が思いやられて深いため息が出た。
■十五代の話をうかがう
鹿児島の街中で沈さんを囲んで和やかな晩餐を催し、翌日、山間に佇む沈壽官窯をひとりで訪れた。伝統に根ざした清らかな日本家屋。静謐な茶室に通されると、椅子や置物などは朝鮮風の形をしたものが使われていた。そこで、じっくりと数時間、朝鮮時代から始まる沈家の歴史と十五代自身の半生をうかがった。
沈さんは話し上手だし、穏やかな語り口の中に子供のような無邪気さが見え隠れする。出会った人たち誰もが惹かれてしまうような魅力に溢れていた。ただ、その沈さんの表情が微かに曇る瞬間がある。父親である先代十四代について語るときだった。
沈さんとの話の中で、心が最も揺れ動かされたのは「父親への悔恨」だったと思う。亡くなった十四代と沈さんの間に確執があったことは会話の中から窺い知れた。でも、それよりも強く父親を思い遣る気持ち、そして、父のためにもっと何かできることがあったのでないかという後悔の念が胸に刺さった。
私の父親も十四代と同じ5年前に亡くなっていた。父とはずっと離れて暮らしていて、コロナの真っ只中に、ひとり暮らしの家で倒れて病院に運ばれた。余命半年と言われたが、病院で面会も看病もろくにすることができない。とうとう最期を看取ることができずに息を引きとった。寂しい思いをさせたのではないかとずっと後悔していた。そんな自身の思いが重なったのかもしれない。
■鹿児島から帰る
鹿児島からの帰り道、飛行機の座席に沈み込んで、やっと落ち着いて考えることができた。思い返してみると、沈さんの口から出てくるのは歴史上の人物ばかり。朝鮮に出兵した豊臣秀吉、茶道を大成した千利休、焼物の価値を異常に高めた織田信長。近現代になっても、十四代が兄貴と呼んだ朴正熙(パクチョンヒ)大統領、薩摩焼の記念祭を執り行った金大中(キムデジュン)大統領と小渕恵三総理。あまりにも壮大な物語を前にして、どうやってこれを描けばよいのだろうか、とたじろぐ瞬間もあった。
しかし、その一方で、直感的に「この映画は僕が撮るべき映画だろうなー」という確信めいたものが芽生えていた。私は劇映画の世界で育まれ、ドキュメンタリーをずっと撮っている。李鳳宇さんがぶん投げたバトンを拾い上げるのに相応しい場所にいたと思う。もともと歴史が好きでかつて陶工たちを番組で撮った経験も活きているかもしれない。何より、息子として美術作家の両親との関係をみつめてきた。
この映画を作っていて、私の眼は代々続く重い伝統を継承していく親子の姿を追わずにはいられなかった。自らが見たい!目を背けられない!と感じるモノにカメラを向けることで、ドキュメンタリーが出来上がっていくと思っている。そうして作られたドキュメンタリーは、劇場で皆さんに観てもらう価値がある映画になっていると信じている。
『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』
ポレポレ東中野ほか全国公開中
<作品概要>
豊臣秀吉の二度目の朝鮮出兵の際に、主に西日本の諸大名は各藩に朝鮮人陶工を連れ帰った。薩摩焼、萩焼、上野焼等は朝鮮をルーツに持ち、今もなおその伝統を受け継いでいる。幼少期に経験した言われなき偏見や差別の中で、日本人の定義とは何かと自身のアイデンティティに悩んだ十五代沈壽官を救った司馬遼太郎の至宝の言葉。十二代渡仁が父から受け継いだ果たすべき使命。十五代坂倉新兵衛が語る父との記憶と次代への想いとは…。朝鮮をルーツに持つ陶工たち、その周囲の人々のはなしが交差し、いま見つめ直すべき日本と韓国の陶芸文化の交わりの歴史、そして伝統の<継承>とは何かが浮かび上がる。
企画・製作・提供:スモモ
配給:マンシーズエンターテインメント
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