【考察レビュー】「TBSドキュメンタリー映画祭2025」上映作品『小屋番 KOYABAN ~八ヶ岳に生きる』人に疲れて山へと入った彼らが求めたもの、それはかつての日本人が持っていた「温もり」だった

『小屋番 KOYABAN~八ヶ岳に生きる~』
人に疲れて山へと入った彼らが求めたもの、それはかつての日本人が持っていた「温もり」だった

文:栗秋美穂

この一枚の写真を見てほしい。これは過酷な雪の中、およそ30㎏の荷物を背負って歩く一人の男性の姿だ。ここは厳冬期の八ヶ岳。気温はマイナス15度から20度の世界である。八ヶ岳は長野県と山梨県を跨ぐ山塊。日本百名山の赤岳を筆頭に、多くの山が連なる姿は荘厳である。

彼のような人を何と呼ぶかご存じだろうか。

「歩荷」と書いて「ぼっか」と読む。荷物が歩いているように見えるから「歩荷」なのか、荷物を背負って歩くから「歩荷」なのか、名前の由来は分からないが、荷物を持って上り下りする人のことを指す。一体、彼はなぜ歩荷をするのだろう。「最後の逃げ場が山しかなかった」と彼は言う。

山で蘇生していく人、二代目として山小屋を守り続ける人、動物との共存を図る人、救助の大切さを説く人、そして八ヶ岳連峰の最高峰である赤岳に、ある挑戦をした男性。さまざまな人が山を通して、現代が抱える課題を浮き彫りにしていく。

また、ドローン撮影で上空から取られた森は雲に隠れていながらも、その樹々の先端までくっきり見えるかのように鮮明だ。他にも、夕日のシーンが出てくる。それを一番美しく撮影するには相当の忍耐が必要だったことは素人でも容易に想像が付く。一面銀世界の稜線を登山者が歩くシーンは、まるで自分が鷹になったかのような錯覚に陥らせる。

「小屋番 KOYABAN」は八ヶ岳という素材だけで、ドキュメンタリーとして見る者を満足させるが、実はこれは、大自然を描く作品ではない。

あくまでも、この八ヶ岳を愛する人々、もっといえば八ヶ岳でしか生きていけない人々が、山を守るために孤軍奮闘する物語である。時には皆で助け合い、多くの登山者を迎え入れ、そして下界へ送り出す。

山岳ヒューマンドキュメンタリー、というには陳腐過ぎるが、それ以外に言いようがない。

 

【大切なことはすべて山が教えてくれる】

息子は、本作で登場する山に登った経験と、山小屋のいくつかに泊まったことのある小学生登山家だ。山登りを始めて2年になる。

息子は好奇心が半端なく旺盛なため、教師への質問が多く、授業妨害になるので、付き添い登校をしてくださいと言われたのは今から二年前、彼が小学校3年生の時だった。

詳しいことは作品とは関係ないので書かないが、人間不信になっていた息子を救ったのが山だった。ホームスクールをして寄り添った私には教えることのできないことを、息子は山から教わった。

元々、自然が大好きな子どもだった。息子は登山中に通り過ぎる人に元気に声をかけ、時に山小屋の人に自分の話をした。自らの言葉で。

そんな山と、そこに生きる人たちに導かれるようにして息子は成長していった。今では、山で困っている人を助けたいと、自ら作った山岳アシスト隊の旗を持って登り、道案内で「この先、大きな石があります、右注意です」など声を出す。気付くと息子の後ろに人が連なり、皆一緒に山の頂を踏むこともある。

山では、それまでの交流があったかどうかなど関係ない。年齢や性別、肩書きといった垣根を一気に越えて仲間になる不思議な力が、山にはあるのだ。

だからこそ、最初に「自分にとって最後の逃げ場が山しかなかった」と言った青年に私は心の中で話しかけた。

「逃げたんじゃない。生まれ変わるためにきたんだよ」と。

この青年を始めとして、下界で人に疲れて山に来た人々は、山小屋で働くことで人として再生していく。そう、息子と同じように、自然の懐に抱かれながら、相手を思いやり、今、この瞬間に感謝して生きるようになる。それが人生で一番大切なことだと筆者は思う。

しかし、山を守るために精進する彼ら小屋番は、同時に「人間が山を守るのには限界がある」と思い知らされる。動物たちとの共存だ。

 

【鹿の食害問題に真向から向き合う人】

私たち家族も頻繁に八ヶ岳に行くが、よく出会うのが鹿である。物おじせず、人間を見ている。じっとこっちを見つめる小鹿のつぶらな瞳は本当に可愛い。しかし、この鹿たちが山を弱らせているという現実を、本作はきちんと捉えている。

鹿は桜の樹皮を食べる。丸裸にされた桜は水を吸えなくなる。桜が弱ってくると森がなくなっていく。そうすれば生態系も崩れる。

なんとかして山を守ろうとする小屋番の人は、鹿が入れないように桜の周りにネットを張る。しかし、鹿も食べるために必死だ。山を守る為にしたことが鹿を苦しめる結果となった。その写真も余すことなく映し出している。この問題は今も解決していない。

小屋番は言う「義務ではなく、(動物との共存努力を)受け継いでいくことが大事」だと。

 

【集まるべくして集まって人たち】

雪が解け、山開きが近づくと、下界から物資がやってくる。ヘリコプターの登場だ。ここは各小屋番の皆が助け合う。しかし空は雲が怪しい。ヘリは来ないかもしれない。諦めた途端、晴天。良くあることだ。そして予定から3日後、ようやくヘリがやってきた。ヘリを皆で見上げるシーンに私は感動した。

不便だからこそ味わえる喜び。現代人が忘れたものがそこにあった。彼らの背後に美しい夕日が映る。

彼らは何を思うのだろうか。

 

【命の大切さを問う。自分たちで出来ることがある】

作品はクライマックスへと向かっていく。到着時間になってもやってこない客を暗闇の中、じっと目を凝らして心配そうに見つめる小屋番。

ただひたすら、「聞こえますかー」と大声をあげて、祈るように客の到着を待つ。到着予定の16時半から1時間半が経過、18時になると周囲はまっくら。画面越しにも緊迫感が伝わってくる。

「僕らは助けに行きたくても警察の指示がなければ動けないんです」
山小屋経営者は複雑な感情を吐露した。

ヘッドライトの光が見えたと同時に雷が鳴る。待ち人がやっとの思いで到着したときはすでに21時。怪我をしていた。

そこで山小屋の二代目が登場する。

彼は2021年7月、赤岳鉱泉に山岳診療所を設立した。
山にケガは付き物だ。

男性が「行政の支援が無くても、山岳診療所が出来るというモデルケースになりたい」と語るその横で、ボランティアの国際山岳医は、「山岳医療の地位を高めたい」と夢を語った。

小屋番の二代目と、夢を叶えるために山にやってきた者同士がタッグを組んだのだ。
「可能な限り、自分たちで出来ることはやる。出来ないことは手伝ってもらう」

私はこの言葉がこのドキュメンタリーで監督が一番伝えたい事なのではないかと思う。

人間関係が希薄で寂しい、SNSで人に疲れた、プライベートでいろいろあったーー。
そんな人々が山で蘇生していく一方で、下界では誰にも何も打ち明けられない人がいる。
できないことを「できない」と言うためには、他人への信頼が不可欠だと思う。
信じられない人に、本音を打ち明けるだろうか。自分の気持ちを伝えることができない現代は、人を信じられない社会の裏返しである。真面目な人ほど、思いを言葉にできない自分を責める。

でも、「悪いのはあなたではないんだよ」ーー。
坂道を必死に登る人たちに、山は語りかけるのかもしれない。
助け合わないと生活が成り立たない環境は、そこに暮らす人間同士の信頼と絆をつくる。
そして雪山は人を精神的にも肉体身体的にも強くする。
小屋番たちが山で得た絆と強さ、そして感謝。それらはかつての日本では、多くの人が当たり前に持ち合わせていたものではないだろうか。

この作品を通して、私は母として息子が山に惹かれた理由が分かった気がした。
彼にとって下界は生きづらいのだ。下山した日の翌日の学校が異世界に感じるというのだ。
そして家に帰ってきて生き物や苔を見ると落ち着く、そんな11歳の少年にとっても生きづらい今の日本。

山と、そこに生きる小屋番の存在が、訪れる人たちに「本来の人間らしさ」を思い出させてくれる。そこには現代人が忘れかけた「温もり」があるのだ。

 


文:栗秋美穂
ドキュメンタリー考察ライター。エッセイで多数の賞を受賞。その記事はインタビューを始め、物語風なのが特徴である。また独自の視点にも定評があり、自身の経験をかさねた考察記事が好評。閲覧数やリポストも安定している。

 

小屋番 KOYABAN ~八ヶ岳に生きる~
令和の日本とは思えないほど厳しく、不便な生活。
時に死にでくわす生活。だからこそ自由なのだ。

「自分にとって最後の逃げ場が山しかないなと思って…」ある小屋番の言葉だ。都会に疲れて山の仕事を選んだ。山小屋を営むもの、小屋番。このドキュメンタリーでは、「コヤガタケ」と呼ばれるほどに山小屋が多い八ヶ岳を、山岳写真家菊池哲男と巡る。コンビニもない、車もない、自然と向きあう小屋番の日常は「過酷」だ。それでもその「過酷」を選ぶ理由が山にあるという。丁寧に紡がれた美しい自然と人の姿と彼らの言葉は、忙しい現代社会に生きる私たちに優しく響く。

企画・プロデューサー:永山由紀子
撮影・音声・監督:深澤慎也
コピーライト:(C)TBS

 

第5回「TBSドキュメンタリー映画祭2025」
2025
年3月14日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国6都市にて順次開催!

<開催概要>
東京=会場:ヒューマントラストシネマ渋谷|日程:3月14日(金)〜4月3日(木)
大阪=会場:テアトル梅田                                 |日程:3月28日(金)〜4月10日(木)
名古屋=会場:センチュリーシネマ          |日程:3月28日(金)〜4月10日(木)
京都=会場:アップリンク京都                      |日程:3月28日(金)〜4月10日(木)
福岡=会場:キノシネマ天神                             |日程:3月28日(金)〜4月10日(木)
札幌=会場:シアターキノ                                 |日程:4 月 5 日(土)〜4 月 11 日(金)

公式サイト:https://tbs-docs.com/
公式X:https://x.com/TBSDOCS_eigasai

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