【考察レビュー】「TBSドキュメンタリー映画祭2025」上映作品『誰のための公共事業~ギロチンが宝の海を壊した~』ギロチンが、暮らしを壊した。枯れ行く海で生きる漁師たち。
『誰のための公共事業~ギロチンが宝の海を壊した~』
ギロチンが、暮らしを壊した。枯れ行く海で生きる漁師たち。
文:栗秋美穂
【宝の海が死の海へ】
1997年、有明海にギロチンが落とされた。潮受け堤防排水門の閉め切りが行われたのだ。海に向かって次々と巨大な鉄板が落とされていく様子を、人々は「ギロチン」と呼んだ。
まずこの事業の説明をする。
戦後の米不足を解消するための農地開拓と称して、国が打ち出した公共事業が諫早湾干拓事業(通称:イサカン)である。しかしこの閉門によって、有明海が受けた影響は深刻であり、多くの漁業者に大打撃を与えた。かつてこの海はエビやアサリ、ウミタケやタイラギといった二枚貝が安定して採れるため「宝の海」と呼ばれていた。しかしギロチンが落とされたことで、栄養分を得てた筑後川からの流れが変わってしまったのである。
漁師たちは言う。
「明らかにイサカンが影響している。潮の満ち引きが変わった」
するとどうなるのか。湾の中に海水が停滞しやすくなる。次にプランクトンが異常増殖する。そしてプランクトンが海底に沈む。酸素を消費するので、海底生物は生きられない。
プランクトンの死骸はがヘドロとなり海底に積もる。
宝の海が「死の海」へと変わって行くのに時間はかからなかった。
【国に訴訟を起こす】
2004年:開門を訴え、勝訴するが、2審で仮処分。
2008年6月:佐賀地方裁判所が国に対して排水門の開門を命じる判決を下す
2010年12月:福岡高等裁判所が一審判決を支持し、国に対して排水門の開門を命じる判決を下す(佐賀開門判決)
2013年11月:最高裁が国の上告を棄却し、開門判決が確定。
2014年12月:佐賀地方裁判所が国の請求を棄却する判決を下す。
2018年7月:福岡高等裁判所が2010年の「開門」を認めない判決を下す。
2023年3月:最高裁が新たな決定を下す「開門は不要」
干潟再生や開門調査を求める声がある一方で、農業利用や防災機能の維持を重視する意見もあり、決定は二転三転していった。
【息子が帰ってくるような海にしたい、私が生きているうちに】
「私は親バカなもんでね。海が元の状態に戻ったらやはり(今は漁業を離れている)息子に戻ってきてほしい。そんな気持ちが捨てきれないんですね。生きているうちに解決したいですね」
そう語るのは、佐賀県太良町の漁師・平方さんだ。
イサカンによって漁師としての仕事が激減し、被害を受けた方の一人である。
二転三転していく裁判の間に自殺した人もいれば、漁業をやめた人もいる。
20年近く経つこの問題はまだ解決していない。
しかし作品の中では、規模こそ違うが三重県英虞湾(あごわん)の類似例を出し、開門に向けて利害の異なる人々が「話し合い」で解決したことを紹介した。
開門し、海を元の状態に戻したのである。
そして2024年、なんとこのイサカン問題でも国は「話し合い」をすることを提示するのである。
しかしそこにはある条件がもうけられていた。
「開門しないことを前提にしての話し合い」である。
漁師たちは言う「金銭で解決しようってことさ」
金の力で海は元に戻らない。
いまだ、続いているこの問題は長期化する一方だ。
そうこうしている間に、気候変動による海水温の上昇などで、海全体の生態系は
取り返しのつかない状態になるかも知れない。
自分が生きているうちに、息子と一緒に漁業をしたいという平方さんを始め、作品では多くの漁師の気持ちが吐露される。
30年以上、海苔を取り続けている漁師も未練を語った。
息子に戻ってきてもらうために3000万円を投じて海苔の乾燥機を購入したが、
「まさかこんなことになるとは思わなかった」と、途方に暮れる人もいる。
生活の問題だけではない。
漁師一人一人がさまざまな感情を抱えているのだ。
【走り出したら止まらない、検証さえ行われない】
漁師たちの思いは国に伝わらない。
行政は、一体どちらを向いて仕事をしているのだろうか。
長い月日が経過し、様々な関係者の利害が絡み合う現状を紐解ける人はもはやいないのだろうか。
作品の最後に登場するのは、埋めたてられる前の有明海の干潟である。
たくさんのエビが取れ、喜ぶ人たち。ムツゴロウを華麗な手の動きで仕留める職人技。
有明海の干潟はたくさんの資源だけでなく、魚の産卵場所としての役割も果たす。
だからこそ、「宝の海」と呼ばれていたのだ。
この作品を見ると、「ギロチンさえなければ」と思わずにいられない。
有明海が「死の海」となってしまった今、海苔養殖は困難な状態だと言う。
この先、廃業する漁師も増え、町を出て違う職に就く人も増えるだろう。
すると今度は過疎化という問題が待ち構えているのではないだろうか。
視聴者に問題提起をするのがドキュメンタリーの役割の1つである。
少なくとも私は、自分なりに有明の今を調べた。
イサカンによるギロチンで海が死にゆく現状をリアルタイムで知る人たちもいずれ、この世を去っていくだろう。
問題を風化させずに、この町に生きる人たちの思いを伝えるという意味で、この作品が今回のドキュメンタリー映画祭で上映されることは意義がある。
問題の内容こそ違えど、日本には「公共事業に振り回されて人生が変わってしまった」人たちは多くいるはずだ。
そして問題が解決しないまま次世代に受けつがれていくことも多々あるだろう。
本作品はほとんどが、古い映像で構成されている。決して派手さはない。
しかし、だからこそ観た人に迫るものがあることは間違いない。
自分が生きる糧を分け与えてくれた「宝の海」、そして子供のころから育った「原風景」を奪われた人たちの思いが、ほんの少しでも伝わればと思う。そして公共事業とは誰のためにあるのか、目の前で繰り広げられる工事の背景にある、見えない現実に思いを馳せるきっかけになれば、と思わずにいられない。
福岡でも上映される。ぜひ足を運んでいただきたい。
東京では3月31日、ヒューマントラストシネマ渋谷で一回限りの上映である。どうかお見逃しのないように!
文:栗秋美穂
ドキュメンタリー考察ライター。エッセイで多数の賞を受賞。その記事はインタビューを始め、物語風なのが特徴である。また独自の視点にも定評があり、自身の経験をかさねた考察記事が好評。閲覧数やリポストも安定している。
『誰のための公共事業~ギロチンが宝の海を壊した~』
ギロチンが、暮らしを壊した。枯れ行く海で生きる漁師たち。
悪名高い「ギロチン」国営諫早湾干拓事業。かつて「宝の海」と呼ばれた有明海はすっかりその姿を変え、漁業が深刻な打撃を受けた。漁業者たちは「諫干」こそが原因であると、潮受け堤防排水門の「開門」を求め続けているが、国はこれに抵抗し、またかつて「開門」判決を出した司法も「非開門」に転じている。追い込まれていく漁業者たち。巨大公共事業は誰を幸せにしたのか。
監督:里山千恵美
コピーライト:(C)RKB
【上映スケジュール】
3/31(月)18:30 ヒューマントラストシネマ渋谷
4/05(土)12:00 キノシネマ天神
4/10(木)13:35 キノシネマ天神
【登壇イベント情報】
4/05(土)12:00 キノシネマ天神
舞台挨拶:里山千恵美監督、平方宣清(出演者)
第5回「TBSドキュメンタリー映画祭2025」
2025年3月14日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国6都市にて順次開催!
<開催概要>
東京=会場:ヒューマントラストシネマ渋谷|日程:3月14日(金)〜4月3日(木)
大阪=会場:テアトル梅田 |日程:3月28日(金)〜4月10日(木)
名古屋=会場:センチュリーシネマ |日程:3月28日(金)〜4月10日(木)
京都=会場:アップリンク京都 |日程:3月28日(金)〜4月10日(木)
福岡=会場:キノシネマ天神 |日程:3月28日(金)〜4月10日(木)
札幌=会場:シアターキノ |日程:4 月 5 日(土)〜4 月 11 日(金)
公式サイト:https://tbs-docs.com/
公式X:https://x.com/TBSDOCS_eigasai